「依存」から「自律」へ。それがReの原点です。

私が「積水ハウス」の看板を捨て、3.11の被災地で「自律」に目覚めた理由
はじめに
なぜ、私は故郷の福井が好きになれなかったのか。その答えは、独立直後に飛び込んだ東日本大震災の被災地で、すべてが繋がりました。
「積水ハウスの…」という枕言葉への葛藤
福井で生まれ育ち、高校卒業とともに関西へ出ました。大阪の大学を出て、大手ハウスメーカー「積水ハウス」に就職。営業としてそれなりの結果を残し、それなりに稼ぎました。
しかし、心の中には常に拭えない違和感がありました。「積水ハウスだから」お客様が来る。「積水ハウスだから」稼げる。それは決して「髙橋聡一郎」としての実力ではない。
多くの先輩方が築き上げてこられた歴史の延長線上にいるにすぎず、どこまで行っても「積水ハウスの…」という枕言葉がつく人生が、自分のアイデンティティにはならなかったのです。
「一人の髙橋聡一郎として世に出た時に、どれだけ勝負ができるのか」――その想いだけで、2011年2月末、私は会社を辞めました。
運命の10日間。そして「依存」への気づき
退職から、わずか10日後の3月11日。 東日本大震災が発生しました。
時間もある、身体も動く。仲間と物資を集め、トラックを借りて12時間かけて仙台へ向かいました。しかし、現地入り直前に福島第一原発の事故が発生。メルトダウンが起こりました。
現地でのボランティアはたった2泊3日でしたが、そこで私は直感しました。「これからの日本は変わる。エネルギーが大きく変わる」と。
その瞬間、ずっと抱えていた故郷・福井への違和感の正体が、はっきりとわかったのです。高校生まで、なぜ私の周りの大人たちから「ギラギラした情熱」を感じられなかったのか。それは「原発助成金」という名の「依存」の構造が生み出したものだったのではないか。
※あくまで個人の勝手な解釈です。単純に、親を含め周りの大人たちに偶々そういう方がいなかっただけのことです。福井に根差し、ギラギラと活躍している方々はいっぱいいます。
原発の危険性、そして「依存」の脆さ。全てが繋がり、「俺がその役割を担う」と、腹の底から決意しました。
「自律」と「足るを知る」哲学との出会い
それから3年後の2014年9月、株式会社Reを設立しました。その過程で出会ったのが、慧通信技術工業株式会社の創業者であり開発者であり「オフグリッド」の生みの親でもある粟田隆央さんと独立電源『パーソナルエナジー』です。
「自律」し「足るを知る」電源。
お米や野菜を田んぼや畑で自給自足する人が食べ物への深い感謝を持つのと同じで、電気も「自律」して関わることで、初めて電気への感謝が生まれる。そして何より電気は自然界に存在する。電気と関わるということは自然に関わるということにも繋がる。自律して電気と関わる事が、自然災害の多い日本列島における正に「自然との共生」の姿だと確信しました。
周囲に反対されても、借入してまで自費で購入したのは、この製品が世に広まれば、日本のエネルギーが「依存」から「自律」へ変わると本気で信じたからです。
おわりに:感謝がめぐる社会へ
私たちが目指す「オフグリッドコミュニティ」は、単なるエコではありません。エネルギーの「自律」を通じて、地域の「誇り(情熱)」を取り戻し、人の優しさや温かさがめぐる社会を実現することです。
世知辛さを感じる世の中だからこそ、私たちの事業が、その「きっかけ」になれれば、こんなに嬉しいことはありません。
私たちの想い
子供たちのために-次の世代に、胸を張って渡せるコミュニティを
